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泉岳寺は赤穂浪士のお墓で全国に知られるお寺です。今は都営地下鉄浅草線と京浜急行線の接続駅名に採用されて、次第に地名のようになっています。
新橋や大門など、その土地の所在物が駅名地名になっていくのと同じ例ですが、この駅名は、同線が開通した昭和43年6月21日からなのでまだ新しく、お寺が有名なだけに、地名として感じられるのは、もう少し年月がたってからかもしれません。もっとも、泉岳寺前という停留所名は、路面電車ができた明治36年から、また、もし乗合馬車時代もあったのなら明治5年からということになります。しかし地名のもとをもっとさかのぼると、江戸時代に「芝泉岳寺門前」という町が、今の高輪2丁目11番7号の辺りにありました。これは明治2年に芝車町に合併されるまで、188年間も続いていたといいます。
泉岳寺はもともと外桜田(今の赤坂1丁目の辺り)に、家康に禅の指導をした宗関という僧の隠居所としてあった寺で、寛永18年(1641)の大火に類焼して、今の所へ移転してきました。その時から、境内の門前の一画をさいて、町人をおく町としたといいます。
元禄15年(1702)の赤穂事件以来大いに有名になり、それ以後はこの町も土産物店などができたことでしょう。「それまではただの寺なり泉岳寺」という川柳もあります。
泉岳寺は同じ浅草線の観音様と並ぶくらい有名なお寺です。
応永年間にこの地を開いた「柳下上総介(やぎしたかずさのすけ)」氏が、大量の銀(読みはシロカネ)を所有していたことから、「銀長者→白金長者」と呼ばれ、“白金”がそのまま地名になったとされています。
銀の読みと同様に町名も、しろかねと濁らないのが正式のようです。『小田原衆所領役帳』では“白銀”と記されていましたが、読みはやはり“しろかね”だったそうです。
江戸時代は、豊島郡と荏原(えばら)郡の境界線上にあったこの白金村は、区画が定まらず入会地(共同耕作地)とされました。
明治に入り、東京府へ編入され、武家地跡に白金下三光町、白金上三光町、芝白金丹波町などが起立しました。
明治11年(1878)に一旦芝区に所属しますが、白金志田(しだ)町・芝白金丹波町以外は荏原郡へ所属替えとなり、13年後、再び芝区に編入され、芝白金今里町、東名光(ひがしなこう)、西名光(にしなこう)、松久保、雷神下などをあわせて芝白金三光町となり、昭和22年(1947)、港区の成立により芝の冠称を除き白金三光町となります。後の「新住居表示」により、麻布新広尾町、麻布田島町、芝三田老増町、白金三光町、白金志田町、白金台町などの全域または一部をあわせて現在の「白金」となりました。
白金の高台地域を指す地名が、そのまま由来とされています。現在の目黒通り沿いに町屋を形成し、慶安4年(1651)に、白金村から分離して白金台町となりました。
明治初期、寺地や高松「松平家」下屋敷跡などを合併して拡張し、「新住居表示」により、芝白金今里町、芝白金台町、芝白金台町、芝白金三光町、二本榎町、芝白金猿町などの全域または一部をあわせて「白金台」となりました。
この地名の歴史は古く、戦国時代がはじまった
大永4年(1524)の「軍記物語」に、江戸城を攻めた小田原「北条」軍が、守る「上杉」軍と激戦を展開した地として、「高縄(たかなわ)原」の名が登場します。高縄とは、高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道を意味しています。
ほかにも、文治5年(1189)の「吾妻鏡」にある「高鼻和太郎」にちなむものとされる説もあります。
高鼻和のほかに、高名輪、高縄、高畷など、時代によって様々な表記があったようですが、現在の“高輪”に落ちついたのは、江戸時代の「正保郷帳(1640年頃)」にある記録が最初とされています。江戸時代に上・下高輪町に分かれ、上高輪町はそのほとんどが寺地で町屋はほんのわずかでした。寛文2年(1662)に奉行支配となり、芝田町、芝伊皿子町、芝伊皿子七軒町、芝伊皿子明下町などの総称となりましたが、明治になって総称としての上高輪町は姿を消してしまいます。
一方、下高輪町は、正徳3年(1713)に町奉行支配となり、高輪北町、高輪中町、高輪前町、高輪北横町、高輪台町などと、諸寺の門前(町屋)によって構成されていました。明治維新でこれらは、高輪北町、高輪台町、下高輪町、高輪南町、芝二本榎町に集約されます。昭和22年(1947)、港区が成立し、各町名には芝の冠称がつけられました。その後、昭和42年(1967)の「新住居表示」により、芝二本榎町、芝君塚町、下高輪西台町、芝白金丹波町、芝車町、芝高輪北町、芝高輪南町、芝高輪台町などの全域と、芝伊皿子町、芝二本榎西町、芝白金猿町などの各一部が大合併し、現在の「高輪」となりました。
「忠臣蔵」でおなじみの“泉岳寺”は、ここ高輪の二丁目にあります。
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